2009年02月08日
思い出の愛馬(9)~癒しの快速娘・ヒーリングガール~
ヒーリングガール 父アフリート 母ライブミュージック 母の父サンシャインフォーエヴァー
1998年4月21日生・牝・鹿毛・栗東柴田政見厩舎
成績 31戦2勝(写真は募集時)

この前々年まで、僕の選んだ牝馬は3年連続不出走という、
あまりに情けない結果に終わっていました。
(前年は牝馬に出資せず)
そこで、この年は「とにかく走る牝馬を」というのを目標に、馬選びをすることに。
目に留まったのは、信頼の置ける種牡馬、アフリート産駒の2頭。
その中でも、このヒーリングガールのほうに惹かれました。
募集当時はもう一頭のアフリート産駒のほうが人気があり、
後に会報の取材でユニオン釜谷さんに、
「どうして(人気のない)こっちを選んだんですか?」
と聞かれましたが…
人気があるか、ないかは申し込み時点ではわからなかったのですが、
筋肉質でがっちりした体型のもう一頭よりも、
こちらのほうが牝馬らしい牝馬の体型をしていると思ったのです。
それと、結果的にはあまり走りませんでしたが、
前年に募集された姉の馬体がとてもよかったのを覚えていて、
あれの妹なんだ、という印象があったのも後押ししました。
あとは、安かったから(爆)

1999年ユニオンセレクトツアーにて。
当時、井川遥さんなどの「癒し系」といわれるタレントさんが流行だったこともあり、
「癒し系の少女」と名づけられたヒーリングガール。
デビュー戦は3歳(当時)の9月。7着でした。
年が明けていったん半年ほどの休養を挟み、
初勝利をあげたのはデビューから1年後、4歳の9月、11戦目のことでした。
彼女の競走生活のクライマックスは、なんと言っても2002年7月13日、小倉の500万条件。
5,6番手でレースを進め、直線で矢のように伸びて優勝。
走破時計1分40秒3は、掲示板にレコードの文字を浮き出させました。
いやあ、すごいすごい。
コースレコードかあ。やるじゃん^^
と思って、JRAのホームページを見てみたら
日 本 レ コ ー ド
でした。
コリャびっくり。
だって500万条件で日本レコードって…
芝1700mというレースはあまり一般的なレースディスタンスではなく、
小倉と福島、中京くらいしか設定されていません。
しかも、この距離では重賞がありません。
例外的に、阪神が改修工事中のときに中京で開催した読売マイラーズカップが
1700mで行われたことがありましたが
(マイルがとれない競馬場っていったい…)
その時のノースフライトの勝ちタイムはいまでも中京競馬場のコースレコードです。
その後、日本レコードは2004年にアズマアビリティーによって破られてしまったので、
(しかも小倉で)
今はもうヒーリングガールの名前はJRAホームページには載っていませんが、
消される前にと思って、ちゃんとプリントアウトしておきました。

ヒーリングガールはその後、勝ち星には恵まれませんでしたが
クラブの規約(当時)どおり5歳末までの競走生活を全うします。
もう少し現役を続ける予定でしたが、蹄に蟻洞(ギドウ)という疾患を患い、6歳の2月で引退しました。
引退後は生まれ故郷の豊洋牧場に帰り、母となりました。
初仔のイーグルウッド(父アグネスフライト)は公営で4勝をあげ大井で活躍中。
第2仔のスピードスクエア(父アグネスワールド)はユニオンで募集され、未勝利脱出を目指し奮闘中です。
こうして、初めて走った牝馬は、競走生活を無事に終えて牧場に帰り、
子供を送り出すという理想的な馬生を送っています。
ソリッドプラチナムが先に同様に無事に牧場に帰ることが出来たように、
みんながみんな、こううまくいけばいいのですが残念ながらそうはならないのが現実です。
1頭でも多く、彼女のようになってくれたらいいのですが。
1998年4月21日生・牝・鹿毛・栗東柴田政見厩舎
成績 31戦2勝(写真は募集時)

この前々年まで、僕の選んだ牝馬は3年連続不出走という、
あまりに情けない結果に終わっていました。
(前年は牝馬に出資せず)
そこで、この年は「とにかく走る牝馬を」というのを目標に、馬選びをすることに。
目に留まったのは、信頼の置ける種牡馬、アフリート産駒の2頭。
その中でも、このヒーリングガールのほうに惹かれました。
募集当時はもう一頭のアフリート産駒のほうが人気があり、
後に会報の取材でユニオン釜谷さんに、
「どうして(人気のない)こっちを選んだんですか?」
と聞かれましたが…
人気があるか、ないかは申し込み時点ではわからなかったのですが、
筋肉質でがっちりした体型のもう一頭よりも、
こちらのほうが牝馬らしい牝馬の体型をしていると思ったのです。
それと、結果的にはあまり走りませんでしたが、
前年に募集された姉の馬体がとてもよかったのを覚えていて、
あれの妹なんだ、という印象があったのも後押ししました。
あとは、安かったから(爆)

1999年ユニオンセレクトツアーにて。
当時、井川遥さんなどの「癒し系」といわれるタレントさんが流行だったこともあり、
「癒し系の少女」と名づけられたヒーリングガール。
デビュー戦は3歳(当時)の9月。7着でした。
年が明けていったん半年ほどの休養を挟み、
初勝利をあげたのはデビューから1年後、4歳の9月、11戦目のことでした。
彼女の競走生活のクライマックスは、なんと言っても2002年7月13日、小倉の500万条件。
5,6番手でレースを進め、直線で矢のように伸びて優勝。
走破時計1分40秒3は、掲示板にレコードの文字を浮き出させました。
いやあ、すごいすごい。
コースレコードかあ。やるじゃん^^
と思って、JRAのホームページを見てみたら
日 本 レ コ ー ド
でした。
コリャびっくり。
だって500万条件で日本レコードって…
芝1700mというレースはあまり一般的なレースディスタンスではなく、
小倉と福島、中京くらいしか設定されていません。
しかも、この距離では重賞がありません。
例外的に、阪神が改修工事中のときに中京で開催した読売マイラーズカップが
1700mで行われたことがありましたが
(マイルがとれない競馬場っていったい…)
その時のノースフライトの勝ちタイムはいまでも中京競馬場のコースレコードです。
その後、日本レコードは2004年にアズマアビリティーによって破られてしまったので、
(しかも小倉で)
今はもうヒーリングガールの名前はJRAホームページには載っていませんが、
消される前にと思って、ちゃんとプリントアウトしておきました。

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クラブの規約(当時)どおり5歳末までの競走生活を全うします。
もう少し現役を続ける予定でしたが、蹄に蟻洞(ギドウ)という疾患を患い、6歳の2月で引退しました。
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1頭でも多く、彼女のようになってくれたらいいのですが。
フォートポータル、年内復帰断念。一方でユズノキは・・・
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Posted by 浦河深之 at 10:20│Comments(0)
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